味噌漬けの歴史は古い
白味噌に漬けた魚を焼いて食す「西京焼き」。銀鱈など白身の魚を使うことが多いです。食材を味噌に漬けて食す方法は、平安時代頃から行われていたといいます。
特に生ものである魚は大変貴重品であることから、味噌漬けにして保存期間を高める方法が特に活用されていたようです。「西京焼き」の「西京」とは、西の都を意味しています。
平安時代は京都が都だったため、わざわざ「西京」などと呼ぶことはなかったのですが、明治維新以降に都が江戸に遷都されてから、京都のことをあえて「西京」と呼ぶようになったようです。
そのため、味噌漬け時代は平安時代から作られていたものの、それが現在のような「西京焼き」と呼ばれるようになるのは江戸時代以降と考えられます。
京都の伝統料理
今や全国で食べられている西京焼きですが、そのルーツは京都にあります。
当初は、魚に限らず、味噌漬けにした食品全般は手間も時間もかかることから、貴族や僧侶など身分が高い人が食す高級品であったようです。
それが室町時代中期くらいから庶民の口にも入るようになってきたといわれています。京都で生まれた西京焼きは「西京味噌」と呼ばれる京都の味噌を使って作ります。
西京味噌は、京都御所に献上されていた料理用の味噌がはじまりであったとされています。関東で多く食されている味噌と比べると、西京味噌は色が白っぽく、味が甘いという特徴があります。
これは、関東の一般的な味噌の製造過程よりも、西京味噌の熟成が短期間であることに由来します。また使用する米麹の量が関東の味噌よりも多いため、塩分よりも甘みが強く感じられる仕上がりになるのです。
西京味噌は、一般的に「白味噌」に分類されますが、スーパーなどで売られている味噌をよく見てみると「西京味噌」として売られている白味噌と「白味噌」とだけ書かれている味噌があることがあります。
これは現在商品名に「西京味噌」と記載できるのが京都府味噌協同組合で定められている定義をクリアしているもののみというルールがあるためです。
したがって正式な「西京焼き」というのは、京都の西京味噌を使って作られた味噌漬けの焼き物ということになります。